1968 EPIPHONE FT79  Texan

エピフォン・ブランドの歴史は古く、そのルーツはトルコ出身のギリシャ人であるアナスタシオ・スタトポウロが、1873年にニューヨークでヴァイオリン製作を中心としたハウス・オブ・スタトポウロ社を設立したことに始まっている。
ギブソンの設立は1902年なので、ルーツを辿ればエピフォンの方が30年ほど歴史が古い。

 1928年にエピフォン・バンジョー・コーポレーションに社名を変更した頃には、すでに様々な弦楽器を製造する総合弦楽器メーカーに成長していた。1930〜40年代は、バンジョーの他にハワイアン・ギター、アーチトップ、フラットトップ、マンドリン、エレクトリック・ラップ・スティール、ギターアンプなど幅広い製品をラインナップ。
40〜50年代は、特にアーチトップ・ギターが高く評価され、大型アーチトップはギブソンの対抗馬となるモデルをいくつも製作している。
中でも超大型モデルとなるエンペラー(1935年登場)は、ギブソン・スーパー400をも上回る18-1/2インチ・ワイド・ボディを採用し、アーチトップ史にその名を残している。

 しかし50年代になると、ギブソンの躍進ぶりとは対照的にその勢いは徐々に衰退し、最終的には長年ライバル関係にあったギブソン社に会社を売却したことで、オリジナルのエピフォンは静かに幕を閉じた。
ニューヨーク時代に生産されたエピフォン製品はどれもクオリティが高く、一部のヴィンテージ・ギター・ファンには “ニューヨーク・エピフォン” として現在も評価されている。

 ギブソン傘下のブランドとなったエピフォンは、1950年代末からミシガン州にあるギブソン・カラマズー工場でギブソン製品と平行して生産されるようになる。
必然的にギブソン・ギターと共通したデザインや仕様も多く、クオリティはギブソンと同等である。

 70年代末からは、日本製エピフォン・エレクトリック・ギターが登場し、世界に向けて出荷された。
1983年に生産拠点が日本から韓国に移行され、韓国製エピフォンが登場。
さらに近年は、ギブソンの人気モデルの廉価姉妹バージョンやアーティストのシグネチャー・モデル等を中心にアジアで生産されているが、ギブソン・カスタムショップによるハイエンドなUSA製エピフォンも一部生産されている。

 今回紹介するモデルは、1968年にカラマズー工場で生産された「EPIPHONE FT79 Texan」。
テキサンと言えばポール・マッカートニーが「イエスタディ」などで愛用したことで広く知られるが、ポールのテキサンは1964年製のナチュラル・フィニッシュ。
写真はその4年後に生産された1968年製で、鮮やかなチェリーレッド・フィニッシュが採用された希少なレアカラー・バージョンである。

 前回のコラムで、1968年製のオール・ブラックのギブソン J-45を紹介したが、今回のテキサンも同じ頃に同じカラマズー工場で生産された製品である。ギブソンでは、68年を中心にブラックやチェリーレッド、ゴールドなどのレアカラー仕様のJ-45やB-25が短期間生産され、現在コレクターズ・アイテムとなっているが、エピフォン・テキサンにも写真のようにレアカラー・バージョンが存在する。

 ピックガードとヘッドストックのデザインがまったく異なるためピンとこないが、テキサンはギブソンのJ-50(J-45)のボディと共通のマホガニー・ボディを採用している。
しかしスケールは、ギブソンの24-4/3インチではなく、25-1/2インチを採用しているところが大きなポイントとなる。

 また60年代のテキサンは、極端なナローネックを採用していた。
一般的なアゴギのナット幅は約43mm程度だが、テキサンには40mmを切る製品も多く、驚くほど細い。 

 写真でも分かるが、1962年からアジャスタブル・ブリッジサドル(写真はローズウッド・サドル)が採用されているため、低音域がカットされた独特なサウンドとなっている。

 ホワイトピックガードは4本の木ネジでボディトップに固定されているが、その乱暴な仕様もいかにもギブソンらしく、ロックテイストが感いられる。

Special Thanks :「Player」/ Woodman