1952年に登場したギブソン・レスポール・モデル(ゴールドトップ)は、58年に華やかなサンバースト・レスポールへと変身を遂げた。
これはフェンダー・ストラトキャスターが、同年鮮やかな3トーン・サンバーストに仕様変更をしたことを受けてのことだった。
しかし、レスポールの売れ行きの落ち込みを食い止めることはできなかった。
そこで1961年、ギブソン社はレスポールのモデル名はそのままに、デザインをSGスタイルにフルモデルチェンジし、実質的に50年代のレスポールを生産中止にした(63年にモデル名を “SG” に変更)。
SGはレスポールと比べて生産効率が良く、ギブソンの大きな屋台骨に成長。
しかし、SGモデルではなく50年代のレスポール・サウンドや弾き心地に拘るギタリストも少なくなかった。
彼らは60年まで生産されたレスポールの中古品を見つけ、それを愛用した。そんなギタリストの一人がエリック・クラプトンだった。
クラプトンの影響力は偉大で、彼のように50年代の生産終了のレスポールを探すギタリスト達が増え、レスポールの中古価格も高騰していった。
そんなユーザーの声に押されて、1968年にレスポール・モデルは再生産を果すことになる。
そしてレスポール神話の第二幕が始まったのである…。

1960年代後期、フェンダー社では後続機種のジャズマスター(1958年~)やミュージックマスター(1956年~)、デュオ・ソニック(1956年~)、ジャガー(1962年~)、ムスタング(1964年~)の売り上げに対して、ストラトキャスターの売れ行きが大きく落ち込んでいた。
フェンダー社は一時ストラトを生産中止にすることを検討していたが、そんな低迷期にストラトをトレードマークにした天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスが登場した。
ジミはワイルドなアーミングと激しいサウンドを武器にしたが、それはストラトでしか作り出すことができなかった。
ジミの登場により、ストラトは再びギターの花形として返り咲くことができた。
そして70年にジミが他界した後はクラプトンがその後に続いた。
80年代の音楽シーンはアメリカのハードロックが時代の担い手となり、トラディショナルなストラトやレスポールは過去のギターになりつつあった。
フロイドローズ・トレモロを搭載した新しいスタイルのギターが大活躍した80年代だったが、クラプトンがストラトキャスターを手放すことは無かった。

1992年に発売されたクラプトンの奇跡のアルバム『アンプラグド~アコースティック・クラプトン』の発売は、新たな音楽シーンの幕開けを告げた。
メタルシーンが華やかだった80年代の中で、マーティン社は規模の縮小をせざるを得ない状況下にあった。
そして90年代に入り、クラプトンの『アンプラグド』がリリースされるや否や、マーティン社を取り囲む状況は一転。
80年代の10倍以上の生産量を持ってしても追いつかないほど製品が売れ、逆の意味でマーティンは頭を抱えていた。

レスポールを復活させ、ストラトの生産中止を食い止め、現在のマーティン・ブームを巻き起こしたギタリスト、エリック・クラプトン。
世界広しと言えど、ギブソン、フェンダー、マーティンの3大ギター・ブランドの危機を救ったギタリストは、クラプトンをおいて他にいない。