[ 1969~1970 FENDER ]
 1965年1月、レオ・フェンダーはフェンダー社をレコード会社のCBSに売却し、経営の第一線から退いた(その後5年間はアドバイザーとして会社に残っている)。
レオは1950年に発売された世界初の量産型ソリッド・エレクトリック・ギター、ブロードキャスター/テレキャスターの開発からすべてのギター、ベースとアンプの開発を行ってきた。
CBS傘下となったフェンダーは、それまでのラインナップの生産を継続しながらも、新たなロゴや大型ヘッドの採用、装飾の変更等、次々に仕様変更が行われ、フェンダーは新たな時代に突入した。

 60年代はサーフ・ミュージックのムーブメントが人気を博し、ジャズマスターやジャガーなど新たなモデルが人気を博したが、その反面ストラトキャスターの人気が低迷していた。
しかし、60年代後半はジミ・ヘンドリックスの爆発的な活躍に救われ、ストラトはみごと人気モデルに返り咲いた。

 写真は、そんな60年代末にフェンダーの日本総代理店である山野楽器が制作したフェンダー製品の総合カタログである。
トータル20ページのB5判横開きというユニークな体裁で、片ページ全面に製品がカラーで紹介され、対向ページにその解説が記されている。

 50年代アメリカのフェンダー・カタログは基本的に製品紹介が中心で、モノクロ写真を使った2色刷りのシンプルな内容だった。
60年代前半からカラー写真を使用したカタログが登場し、60年代後半になると製品だけでなく人物も登場し、より華やかでモダンなデザインになっていった。

 写真は60年代末に日本で制作されたフェンダーの製品カタログ。
USAのフェンダーが1969年に制作したカタログをベースに、日本語の翻訳と組み合わせたもので、日本総代理店によって制作された。
フェンダー製品の本格的な日本製総合カタログとしては最も初期のものである。

 60年代後期は、ベンチャーズ、ビートルズなどの影響もあり、日本でもエレキブームが巻き起こったが、フェンダーやギブソンなど一流ブランドのギターは、極一部の大手楽器店に数本飾られているだけだった。
しかも鍵のかかるショーケースの中に収納されているため、アマチュア・ギタリストにはとても手が出せない特別な存在だった。
ミュージシャンの中には、輸入楽器を手にする富裕層もいたが、プロギタリストの多くは国産ギターを手にしていた。

 カタログの写真を見ると、劇場の入り口やレコーディング・スタジオ、自宅やカントリーバーなど、様々なシチュエーションで製品を撮影しており、いかにもアメリカを思わせる写真が当時はとても新鮮だった。
しかし、今改めて見ると、スタンド無しで整然と直立するギターと人物との絡みがかなり不自然にも思えるのではないだろうか。