1953 FENDER Telecaster

フェンダー・テレキャスターをトレードマークにしているテレマスターは何人かいるが、その中で最も影響力がある偉大なギタリストを1人挙げてもらうとしたら、「ロイ・ブキャナン」と答える人は少なくないだろう。
1972年のデビュー・アルバム『ロイ・ブキャナン』に収録されている名曲「メシアが再び」におけるロイの名演奏は実に素晴らしく、もしもロイがいなければ、ジェフ・ベックの「悲しみの恋人達」は生まれていなかっただろう。

 ロイは後年になってレスポール・カスタムやストラトキャスターも使用している。
しかし、デビュー前からメイン・ギターとして愛用し、ロイの独自なギター・スタイルを完成させたのは、1953年製の「FENDER Telecaster」だった。
今回紹介するギターは、そのロイ本人が長年愛用していたあのテレキャスター、“ナンシー” である。

 テレキャスターは、1950年に世界初の量産型エレクトリック・ソリッドボディ・ギター、「ブロードキャスター」として誕生した。
しかし、グレッチのスネアドラムの中に近いネーミングの製品があったことから、発売後に名称を「テレキャスター」に変更した。

 当時のテレキャスターのボディには2〜3ピースのホワイトアッシュが使用されていることが多いが、写真のギターには珍しく1ピース・アッシュが使用されている。
バタースコッチ・ブロンドと呼ばれる飴色の焼けたシースルー・ブロンド・フィニッシュが、ヴィンテージ・ギターとしての風格と貫禄をみごとに醸し出している。
ブリッジ後方には弦のイントネーションを調整する際にドライバーを使用した跡が見受けられる。

 ピックアップはフロント、リア共にオリジナルを搭載。1955年まで採用されたフラットポールピースのリア・ピックアップは、どの年代のものよりもファットなサウンドが特徴で、ロイの演奏スタイルとも相性が良い。

 この個体の最も特徴的なところは、ヘッドストックの中央に空けられた大きな穴。
これは「ストリングベンダーを取り付けるために開ける空けられた」とされているが、実際の目的はよくわかっていない。
ボール盤などのマシンによるものではなく、手加工なのかかなりラフに見える。

 メイプル1ピース・ネックのフィンガーボードは何度もリフレット、リフィニッシュされたため、オリジナル・フィニッシュであるヘッドの塗面と比べるとだいぶ明るい。
消耗品であるナットも交換されている。

 ロイは13歳の時に初めてテレキャスターを入手し、15歳からジョニー・オーティスのR&Bバンドのギタリストとして活動を開始した。彼が写真のテレキャスターを入手した時期は定かではないが、1972年にリリースされた初のソロアルバム『ロイ・ブキャナン』でデビューする前からメインギターとしてこのナンシーを愛用していた。

 ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが1969年に他界した際に、ブライアンの後釜としてバンドからロイにオファーがあったが、彼はそれをあっさり断ったという逸話は有名である。
彼はお金や名誉よりも、最初から自分の音楽性やギター・スタイルに強い拘りを持っていた。

 しかし残念なことに、後年は家庭内のいざこざが原因で逮捕され、1988年8月14日に49歳と言う若さで自らの命を絶ったロイ・ブキャナン。
この1953年製のテレキャスターは、そんな彼の切ないギター人生を支えた良き相棒だった。

Special Thanks :「Player」、Mac Yasuda