[ 1936 MARTIN ]
 以前、このコラムでマーティンが1929年に制作した総合カタログを紹介した。
今回紹介するのは、その7年後にあたる1936年に制作された総合カタログ(のレプリカ)である。


190年近いマーティンの社歴の中で、7年というと歳月はそれほど長いとは思えないが、カタログに登場するラインナップが大きく異なっているところが大変興味深い。
マーティン社にとって1930年代は、大きく変貌した時期であった。

 本文32ページに4ページのカバーを付けたトータル36ページの二つ折り縦長カタログで、カバーは厚手の色紙を使用した2色刷りだが本文はすべてモノクロでプリントされている。
マーティンに限らずカタログの巻頭に登場するのは、そのメーカーの顔となる一押しの製品と決まっているが、1936年のカタログではなんとアーチトップがズラリと掲載されている(“Arched Model”と表記)。


最上位モデルのスタイルF-9を筆頭に、F-7、C-2、C-1、Rといった製品が1ページに1本ずつ大きく5ページに亘って紹介され、それらに続いてフラットトップ、マンドリン、ウクレレなどが続いている。

 マーティンのアーチトップというとあまりピンと来ないかもしれないが、1935年から41年までの7年間生産されていた。
アーチトップといってもギブソンのように厚いトップ材を削って作られたものではなく、カーブさせたスプルーストップを採用したマーティン・スタイルでデザインされている。
社をあげて企画、生産したアーチトップ・シリーズだったが、セールス的にはかなり厳しかったようで、41年に生産が完了しその後再生産されることはなかった。

 カタログはこのシリーズが登場した翌年に制作されたこともあり、巻頭を堂々と飾っているばかりでなく、アーチトップのテナー・ギター(4弦ギター)C-1TとR-18T、更にはアーチトップ・ボディを採用したマンドセロ(8弦4コース)も紹介されており、かなり本気でアーチトップ・モデルのセールスを考えていたことが窺える。

 当時ジャズ・ギタリストやオーケストラ・ギタリストが愛用していたアーチトップは、ギブソンやエピフォン・ブランドの製品が多かった。
特にギブソンは、1902年の創業時から完成度の高いアーチトップ・モデルを数多く製作し、そのシーンのユーザーから絶大な信頼を勝ち取っていた。
フラットトップの王者であるマーティンが、苦戦を強いられたのも無理のない話だろう。

 当時少数ながら出荷されたマーティンのアーチトップは、戦後になってトップをフラットトップに改造して使用されることもたびたびあり、現在オリジナル仕様の製品を目にすることが難しくなっている。
クラプトンが2004年のギター・オークションで手放したアコースティック・ギターの中にも、F-7をフラットトップに改造したギターが含まれていた。

 そしてもうひとつ、1929年にはまだ登場していなかったD-28とD-18がこのカタログで紹介されている( “Orchestra Model Style D”と表記 )。


マーティンのドレッドノート・モデルは、それまでマーティンでOEM生産をしていたディットソンのD-1、D-2というモデルを引き継ぐ形で1931年に登場した。
マーティン・ブランド最大となるモデルの登場は予想以上に好評で、好セールスを記録。
当初はアンバランスとも思えるほど低音域が豊かだったが、戦後になって他のブランドがこぞってマーティン・ドレッドノートのコピー・モデルを発売したこともあり、ドレッドノートはやがてアコースティック・ギターの定番モデルとなった。

 D-45が最初に製作されたのは1933年であるが、当時はまだレギュラー・モデルではなく完全なカスタムオーダーによる生産だった。
当初は特別なミュージシャンからのオーダーで年に数本しか製作されておらず、1936年の総合カタログには掲載されていない。
D-45がレギュラー・モデルとして製作されるようになったのは、1968年の再生産からである。