マーティン・マンドリン

マンドリンの歴史は古く、18世紀前半にイタリアで誕生したと言われている。19世紀後半のイタリアでマンドリンがブームとなり、それが19世紀末にアメリカに飛び火したことで、ギブソンやマーティンでもマンドリンの製造を開始した。ギブソンは1902年の創業当初からすでにマンドリンや大型のマンドラ、マンドセロなど幾つかのマンドリン系の製品をラインナップしており、アメリカにおけるマンドリン市場の開拓に大いに貢献したことは知られているが、実はマーティンがマンドリンの生産を開始したのは1895年だった(自社のカタログに掲載されたのは1898年。
当時ギブソンの創始者であるオーヴィル・ヘンリー・ギブソンは19世紀末から個人ルシアーとしてマンドリンを製作していた)。

 しかし当初マーティンが生産したマンドリンは、アメリカで普及したフラット・マンドリンではなく、イタリアで誕生したボウル・マンドリンだった(マーティンはその後20数年に亘りボウル・マンドリンを生産)。1914年に、マーティンでもスタイルAやスタイルBといったフラット・マンドリンを製作するようになったが、ギブソン・マンドリンのような高い評価は得られなかった。フラット・マンドリンは、それまでのボウル・マンドリンと比べて生産性に優れ、コンパクトであるため通信販売にも適してしており、明るく軽やかなサウンドはアメリカンの音楽シーンにも上手くマッチしたことで、マンドリンは広くアメリカ市場に浸透していった。

 ボール・マンドリンの生産からマンドリン市場に参入したマーティンだったが、1920年代初頭にはボール・マンドリンの生産を止めてフラット・マンドリンのみの生産に移行。
以来マーティンはギブソンとも異なる独自なスタイルのオリジナル・マンドリンを数多く開発し、市場の開拓に力を入れていった。

 20世紀前半のアメリカは、ギター以上にマンドリンやバンジョーがポピュラー・ミュージックの中心で、バンド・アンサンブルにおいてギターはそのサポート的な存在だった。
ギターがアンサンブルの中でクローズアップされるようになったのは、ギターがガット弦からスティール弦に移行した1920年代以降のことである。

最初期に生産されたマーティンのフラッグシップ・モデル

 最初の写真は、1900年頃に生産されてたマーティンのスタイル4というボウル・マンドリン。
ボディはイチジクを2つに割ったようなボウル型で、ヨーロッパのマンドリンを彷彿とさせるクラシカルなデザイン。
写真を見ても一見マーティンの製品とは思えないが、ボディ内部にはブランド名の刻印が押されている。

生産されたボウル・マンドリンにも幾つものもモデルがある

 次の写真は、1910年代半ばから生産されたマーティンのフラット・マンドリン。
ギブソンのフラット・マンドリンは、フラットといってもボディがアーチトップやアーチバックを採用した立体的な形状であるが、マーティンは正しくボディがフラット(トップはブリッジ下で角度が付けられた構造)で、生産性の良い合理的なデザインが特徴となる。
ギブソン・マンドリンはF-5に代表されるクラシカルで高級感のあるデザインが特徴で、太く奥行きのあるトーンは多くの人々を魅了した。
一方、マーティン・マンドリンはより軽やかで明るいサウンドが特徴で、繊細で優しいトーンとなる。

マーティンのフラット・マンドリンはシンプルなモデルが多い

 1950年代以降、ブルーグラスやカントリーなどでも広く使用されたマンドリンだが、マーティンを愛用する有名プレイヤーは少なく、トータル20モデルほどあったマンドリン・ラインナップの大半が60年代半ばまでに姿を消し、極一部のAマンドリンだけが90年代半ばまで少数生産されたが、それ以降は生産されていない。
一方ギブソンは、少数ながらも高級モデルのマンドリンが今なお生産されていることを考えると、多くのプレイヤー達はギブソンに軍配を挙げたことになる。

1920年代末の製品カタログより