最も滑った悲劇の高級アーチトップ、F-9

 時代は1920年代後半。
それまでリズム楽器として広く使用されていたテナー・バンジョー(4弦バンジョー)に代わって、アーチトップ・ギターがバンド・アンサンブルの中核となりつつあった。
1930年代に入ると、ギブソンやエピフォンから大型のアーチトップ・モデルが相次いで登場し、ジャズ・ギタリストやバンドのギタリストに高い評価を受けた。
ギター・ブランドとして最も長老のマーティンもこの大波に何とか乗りたいと、1931年にマーティン初のアーチトップ・モデル、C-1、C-2、C-3を新たな市場に向けて発表し、勝負に出た。
しかしそれらのモデルはアーチトップではあるが、ラウンドホールを採用しており、またサイズ的にもギブソンなどと比べると小型だったこともあり、市場の反応は今ひとつ。

 そこでマーティンはギブソンやエピフォンに倣って、Fホールを採用した新たな大型アーチトップ・モデル、F-9とF-7を急遽開発し、市場での巻き返しを狙った。

F9にはバーチカルロゴが使用され、指板にはラインのインレイも…


F-9は、当時マーティンで最も大きかった000よりも、ボディが1インチワイドな16インチを採用(0000モデルもしくはMモデルと同じサイズで、ドレッドノートよりもワイド)。
独自なアーチトップ・デザインと豪華な装飾を採用し、D-45や000-45を上回るフラッグシップ・モデルとして1935年に発売された(1936年のマーティン・カタログには、当時000-45が175ドルであるのに対してF-9は250ドル。
D-45は当時カスタム・モデルだったためカタログには掲載されていない)。

1920年代末のカタログには、Fホール仕様になったC-2も掲載されている

 しかし、市場の反応はやはりクールで、1942年に生産が終了するまでに製作されたF-9は僅かに72本に止まった。
戦前にオリジナル D-45が生産されたのが91本で、その希少性と高い人気から市場価格はどんどん高騰し、1968年に再生産が開始されるもオリジナル D-45はヴィンテージ・レスポール・サンバーストに続く特別高価なモデルとなった。
しかしそれとは対照的に、F-9はまったく人気が出ることはなく、いつしかギター・ファンから忘れられた存在となった。
さら悲劇的なことに、F-9はヘッドにバーチカルロゴ(縦ロゴ)、フィンガーボードにヘキサゴン・インレイが採用されており、さらに価格もあまり高騰しなかったことから、72本製作されたF-9の中の何本かはボディのトップをアーチからフラットに張り替えられ、オリジナル D-45風のコンバージョン・モデルとなった個体も少なくなかった。

F-9は当時D-45をも上回る価格が設定された

 1930年代の同じ時代に、マーティンで誕生した2つのフラッグシップ・モデルであるD-45とF-9だったが、待ち構えていた運命は天と地ほど違っていた。
D-45は再生産以降も別格のモデルとして人気を博したが、F-9が再生産されることはなかった。
以来マーティンではアーチトップ・モデルの企画はタブーとされたのか、2004年に登場したアメリカン・アーチトップの2モデルまでいっさい製作されていない。
しかしその2モデルも、僅か2年足らずの製作で終了となった。

0000-45風にコンバージョンされたF-9も何本か確認されている