1940 MARTIN 000-45 / 1940 D-45

マーティン・ギターの歴史は、フラットトップの歴史といっても過言ではない。
戦後は、世界中のアコースティック・ギター・ブランドがマーティンを参考に自社の製品を開発するようになったことは、よく知られている。
特に1970年代からはD-18やD-28、D-45を中心に、その外観はもちろんのこと、装飾類、ボディ内部の構造やブレイシング・パターンなどを模倣した製品が世界中で生産されるようになったが、その流れは現代においても一部のメーカーで見られる。
それほどマーティン製品に対するユーザーの憧れは強く、アコースティック・ギター・シーンの中で絶対的な存在として君臨している。

 ここで紹介する2本のマーティンは、最高峰モデルとして世界中のギター・ファンが憧れる1940年製の「000-45 」と「D-45」である。
マーティンのスタイル45が登場したのは、1904年のこと。
1858年から生産されていたそれまでのフラッグシップ・モデル、スタイル42をさらに豪華にし、よりモダンにした特注モデルとして登場した。
しかし当時はガット弦を使用した小型モデルの時代で、1-45、0-15、00-45などが製作された。

 その後000-45(12フレット・ジョイント、ナイロン弦仕様)は1907年に登場し、D-45(12フレット・ジョイント、スティール弦仕様)が登場したのは創立100周年目に当る1933年のことだった。
しかし、第二次世界大戦が激化する中、どちらのモデルも1942年に他の高級モデルと共に生産が中止され、その歴史にピリオドが打たれた。
それまでに生産された000-45はトータルで275本、D-45に至ってはその1/3ほどの91本だった。

 ドレッドノートに関しては、1960年代以降のフォークソング・ブームを背景に世界的な人気を博し、マーティンの代名詞というよりアコースティック・ギターの代名詞として広く愛用されている。

 一方000は、1992年に発売されたエリック・クラプトンの奇跡の名作『アンプラグド〜アコースティック・クラプトン』で使用されたことで、000やその原型となったOMモデルがにわかに注目され、爆発的なユーザー人気に後押しされる形で見事復活を果たしたことは広く知られている。

 000モデルは、ドレッドノートの力強いサウンドとは異なりより繊細なキャラクターで、表情を付けやすいことがユーザーに理解されると、フィンガーピッキングのギタリストやレコーディングなどで広く使用されるようになった。

 写真の000-45とD-45は、どちらも1940年製という極めて希少な製品であるが、そんないにしえの時代に生まれたマーティンのフラッグシップ・モデル2本が、異国地である日本で再会したことは、正しく奇跡と言えるだろう。

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